最近一段时间,围绕日本动漫尺度以及审核问题引发了众多讨论。之前就有一些犯罪者被别人说了喜欢某部动漫作品或者是喜欢看动画这类的,这两天又有《银魂》动画因为出现了部分很黄很暴力元素而遭遇观众投诉。让公众舆论的矛头指向了动漫作品。然而事情真的是这样的吗》近日,元老级漫画家小池一夫却在推特上怒斥这些媒体:“照你们的说法,日本的动漫作品这么多那为何日本犯罪率很低呢?”。
これだけ漫画やアニメやゲームが発達している日本が、他国に比べて断然犯罪率が低いと言う事実を、それらと犯罪を結びつけて表現規制を望む人達がどう説明するのか聞いてみたい。(小池一夫)
日本的漫画、动画跟游戏如此发达,然而跟其他国家相比,犯罪率却毋容置疑地低。面对这样的事实,那些将ACG同犯罪联系在一起、希望对于表现进行限制的人们到底该做出何种解释呢?我想听你们谈谈。(小池一夫)
日本漫画家小池一夫,1936年生于日本秋田县,中央大学法学部毕业,曾立志当律师,无奈因太爱看漫画而改投创作,与齐藤隆夫合作的《骷髅13》为其成名作。除了池上辽一外,从漫画学校出身的高桥留美子、原哲夫都曾与他合作过。小池一夫先生是日本漫画脚本原作界的元老级作家,很多漫画家都是因为绘画他的原作而成名。
为此,很多网友也在推特上进行了讨论:
tarbo @tarbo5
@koikekazuo 規制しても、犯罪を犯す奴はいる。
規制がなければ、拡大解釈とかをして、犯罪を犯す奴が出てくる。
人それぞれ、正義の解釈が違う。
人として守らなければいけない正義も、人間だものって外れていく奴もいる。
即便进行了限制,依然会有人犯罪的。而没有限制的话,如果扩大解释,那么也会出现犯罪者的。每个人对于正义的理解都不一样。即便是一些我们认为必须遵从的正义,也会有一些人做不到,偏离了这种轨道。
中島@王道の狗 @ry355828_e
@koikekazuo 行政からの規制はいけませんけど、自主規制、言い方を換えれば表現における自制心は必要と思いますよ。自制心がなくなれば表現の名の下に無法地帯が出来てしまいます。そうなれば、行政の介入も許す事になるでしょう。
虽然不能从行政法律角度来进行限制,不过我认为自主控制,换句话说对于表现的克制心理还是有必要的哦。如果没有克制心理,那么就会在“用来表现”的名义之下出现非法地带了。这么一来,行政介入也就合情合理了啊。
主(ぬし)@小説家になろう @k06ee1242000
@koikekazuo 「アニメや漫画やゲームを規制すれば日本の犯罪率はもっと低下する」と言ってるオバサンは見たことあります。根拠はいつものテンプレの羅列だったので忘れましたが。水木しげる先生も同じようなイチャモンをつけられたそうですし、そういう人は何時の時代にもいるんですね。
我曾经看过一些大妈说:“如果管制动漫游戏的话,那么日本的犯罪率会进一步下降。”为此她还专门罗列了一些理由,不过我忘了。其实就连水木茂老师都曾经被这样找茬过,像是那种大妈在任何时代都存在啊。
ichiko001 @ichiko0011
@koikekazuo 鋏もマッチも、凶器にするか道具にするかは使う側の人間の心、則ち、育ってきた環境によると思う。犯罪に繋がると怖れるのは、親や教師が指導に自信がない証拠。己の力の無さを棚に上げてメディアに責任を擦り付けて叩くとは…。恥を知れと思う。
无论是剪刀还是火柴,它们究竟是变成凶器还是道具,这都取决于使用者的人心。也就是培养他成长的环境。如果将它们同犯罪联系在一起并为之恐惧,那么只是说明了父母跟老师对于指导没有自信而已。将自己的无能扔在一边,把责任推卸给媒体并且予以抨击……我觉得还是该知道一点廉耻的好。